Random Video

今夜は(今日は)帰れない 【今は帰れない】 Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę アンナ・プルクナル & アンナ・マリア・ヨペク シャンソン版 / 訳詞初稿 Sima

2015-06-18 23 Dailymotion

今夜(今日は)は帰れない Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę アンナ・プルクナルAnna Prucnal & アンナ・マリア・ヨペク Anna Maria Jopek シャンソン版を「今は帰れない」として訳詞。

1944年の「ワルシャワ蜂起」前夜ともいうべき前年の暮れに、パルチザンの有力支援者であった スタニスワノ・マギエルスキ Stanisław Magierski によって作詞・作曲された作品。

第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで英国に逃れていた民主亡命政権を支持していた市民がレジスタンスとなり、’44年8月にソ連の口車に乗ってドイツ占領軍に対して武装蜂起した。
しかし、ソ連の後押しは無く裏切られた結果となり、20万人の兵士や市民が犠牲となり、武装蜂起は失敗に終わった。
勢い、反撃に転じたドイツ軍はヒットラーの懲罰的な徹底的破壊命令により、ワルシャワは焦土と化し、瓦礫の街とされた。
捉えられた抵抗勢力は全て、アウシュビッツと並ぶ規模を持つマイダネク(ルブリン)強制収容所(絶滅収容所)に送られ、50万人という収容者のうち36万人が死亡させられたという。

1945年、ナチス・ドイツの敗戦と共にポーランドは、解放と言う名の支配を受け、ソ連の占領下にされる。
赤軍は、パルチザンの幹部たちを次々に逮捕して自由主義政権の芽を根こそぎ摘み取った。
作曲者のマギエルスキも支援者と言うことで投獄されたが、当時のポーランド人の誰もが知っていたこの歌の作者であることを明かすことは無かった。
生き残った少数のレジスタンスは、郊外の森の中に潜み裏切った赤軍に対しての抵抗勢力となり、’50年ころまで「呪われた兵士」とも呼ばれて森の反共パルチザンとなる。
1960年代に入り、東欧民主化運動(プラハの春)が進みワルシャワの蜂起を描いた「今日は帰れない」という歌劇が1969年に当地ルブリンで上演されたがここでも作曲者は不明とされていた。

歌い継がれ、市民の間に浸透していたこの曲は、父親がジプシー系ユダヤ人の外科医で、ナチスによって殺されたため、母親と一緒にパリに亡命し、女優や歌手として成功を収めたアンナ・プルクナル/Anna Prucnalが歌い、知られるようになった。
現代では親日家でもあり、2011年のアルバム三部作に「HAIKU/俳句」(日本人ピアニスト、小曽根真の共演盤。2010年11月の日本およびポーランドでの共演コンサートの後にワルシャワで録音された)という作品も発表しているアンナ・マリア・ヨペックName: Anna Maria Jopek も三部作の中の「Polanna」に収録していて、ゴールドディスクを受賞している。
2014年はV4+日本親善大使に就任していることでも知られ、昨年まで計7度来日して公演している。 (もう一つは「Sobremesa」で、ポルトガルがテーマで「HAIKU」と共にプラチナディスク賞に輝いた)

ポーランドについて
  人口 3800万人
  首都 ワルシャワ(171万人)     
  国土 30%が森林、9300の湖、深い森 
  農業 国内の42%が農地 小規模が発展して有機農業が活発。
      ライ麦は主要な生産品。
  気候 日本と同じく、明瞭な四季がある。

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   / in市川 ラ・メール
訳詞 no.104 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos